「さまざまの事おもひ出す桜かな」この句は、松尾芭蕉の句で、元禄元年(1688)芭蕉が、奥の細道の旅に出る一年前、故郷の「伊賀の国」に帰省した時に詠んだ句である。時に芭蕉45歳だった。
芭蕉のふるさとへの思い、若き日に自分の周囲で起こったことを「桜」からイメージを広げている。
といいつつ深い意味は分からないが、何となくではあるが自分自身の人生でも感じるものがある。
「桜」は、季節の節目に咲き。出会いと別れ、その当時のことが思い浮かぶ。
いわゆる花見をはじめて経験したのは、福祉施設の職員だった20代前半の津田山霊園(高津区)。施設の利用者と職員・ボランティアで盛り上がった。ただ、私一人だけ盛り上がれなかった記憶がある。津田山霊園は、花見の名所で多くの花見客で大騒ぎ。鉄板、発電機、プロパン、カラオケと何でもあり。酔っ払いがそこらで騒ぎ回り、墓石に倒れている人もいた。無法地帯化した風景に幻滅。これが最初で最後の花見だった。。
花見は、静かにのんびりと鑑賞するのが良い。とはいうもののそのような場所も文化も少なくなった。
歴史から考察すると、平安時代までの花見は貴族の文化だった。それが、鎌倉時代になり武士たちにも広がった。そして、宴会型の花見は、豊臣秀吉から始まったとされる。もう一方で、農民の間では、冬をもたらす山の神を送り出し、春を呼ぶ田の神を迎える「春行き」「春山入り」が行われた。豊作を占う神事であった。
江戸時代に入り、都市に住む庶民のも広がり、娯楽としての花見が定着したようだ。
「花より団子」の歴史も長そうだ。みなさんの「桜」の思い出は…
※2020年の花見は、新型コロナウイルス感染症のため自粛されている。
【注意】(2020年3月記)掲載記事は、内容がかわっている場合があります。
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