茗荷(ミョウガ)は、収穫時期で分けて7月~8月に採れるものを「夏ミョウガ」、9月~10月に採れるものを「秋ミョウガ」という。
しかし、最近では、季節感がなくなり1年中見かけることが多くなった。
ところで、この野菜には不思議な逸話がついてまわる。
「物忘れがひどくなる」「バカになる」など…
これは、お釈迦様の弟子の周梨槃特(しゅりはんとく)という人物に由来している。
この周梨槃特は、双子で、摩訶槃特(まかはんとく)という兄がいた。
兄の摩訶槃特は、とても賢く、お釈迦差様の教えをすぐに理解できた。
しかし、弟の周梨槃特は、自分の名前も忘れてしまうほどの愚かな者だった。
こんな弟に兄は、お釈迦様の弟子にはなれないのだから、家に帰るようにすすめる。
ところが、弟は、お釈迦様のそばにいたかったのです。
弟は、お釈迦様に愚かな自分のことをすべて話した。
すると、お釈迦様は、1本のホウキを渡して…
「塵をはらい、垢をのぞかん…この言葉を思いながら一生懸命に掃除を続けなさい。」とだけ教えた。
それから、雨の日も風の強い日も毎日毎日一生懸命に掃除を続けた。
いつしか周梨槃特は、『自分の心の塵をはらってみがいていくこと。そうすれば自分の心にたまった欲という垢をとりのぞけるのだ。それが大切なことなのだ…』と気づく。
お釈迦様は、「たとえ愚かであっても自分が愚かであると知ることは、自分のことを賢いと思いこんでいる愚かな人より、本当の賢い人なのだ」と言って、周梨槃特(しゅりはんとく)の心をほめた。
周梨槃特は、お釈迦様の教えがわかる本当の賢い人となった。
人は誰でも、「愚か」と思われるより「賢い」と思われたいものである。
学校の成績が良くなりたいと思うし、社会に出て出世したいとも思う。損をするよりは、得をして暮らしたいと願う。
そのために努力することは大切だと思う。確かに欲なのかも知れない。
ただ、自分以外の「何か」や「誰か」と比べることの愚かさや、他人を否定することはあってはならないだろう。
これが茗荷の逸話であり、周梨槃特(しゅりはんとく)は、のちに茗荷和尚と呼ばれるようになった。
夏の暑い時期にそうめんの薬味としての茗荷は格別である。脇役として存在感がある。
亡くなった周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草が生えていた・・・それが今に伝わる茗荷である。
---私が茗荷和尚という名を知ったのは、障がい児教育の先駆者である田村一二先生だった。もう30年も前の話である。---
【注意】(2015年4月記)掲載記事は、内容がかわっている場合があります。
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