地動説で有名なガリレオ・ガリレイは、彼の死後なんと約350年後にリハビリティーションが行われたという話がある。
これは、どういうことを意味するのか?
リハビリティーションは、もともと戒律を破ったキリスト教徒が、罪を許されて、またキリスト教徒として認められることに語源があるという説がある。
想像するとキリスト教中心の社会にあって、その教えから仲間はずれにされるということは、言葉では表現できない辛さがあったと思う。
ある意味で、死の方が楽であったのでと想像できる。
つまり、リハビリティーションをたんなる、機能回復のみで表現できない意味がここにある。
つまり、リハビリティーションの広義の意味での復権を取り戻すということである。
麻痺や入院などして、失われた機能を回復して、また歩けるようになり、家庭に社会に戻れる。やはり広くは復権、取り戻すってことになように感じる。
さて、ガリレオ・ガリレイのリハビリティーションであるが。
17世紀に入ると、天体望遠鏡が発明され、ガリレオ・ガリレイは、木星を望遠鏡で観測し、4つの衛星が木星の周りを回っていることを発見した。
この4つの衛星はガリレオ衛星と呼ばれ、観測を続けると少しずつ位置を変えていることが分かり、ガリレオは木星の回りに衛星が回っているように、太陽の周りを惑星が回っていてもおかしくないと考えた。
また、火星は地球に遠い時に比べ近い時では約40倍も大きさが異なるということ、金星の満ち欠け等の発見により、地動説を確信した。1632年には、表現に気をつけながらも、このことをまとめた「天文対話」を出版した。
しかし、当時のイタリアでは、ローマ法王のもとキリスト教が盛んであったため、地球(人間世界)が宇宙の中心であることが絶対の真実であったため、地球が動いているという考えはタブーだった。
地動説を唱え続けたガリレオは当時の教会の教えに反するとされ、宗教裁判により、その説を放棄することを強要されてしまった。
その時、ガリレオは「…それでも地球は動いている…」と呟いたと伝えられている。
その後、自由を奪われ謹慎生活を送るガリレオは、5年後に目を痛め、ついに失明。光を無くした世界の中、最後まで解放されることなくこの世を去った。
弔辞を読むこと、碑を建てることも禁じられ、家族の墓に葬られることすら許されない、哀れな最後だった。
ガリレオが世を去ってから約350年後、1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ガリレオの裁判に誤りがあったことを正式に認定した。
これが、ガリレオ・ガリレイのリハビリティーションである。
【注意】(2014年4月記)掲載記事は、内容がかわっている場合があります。