二宮尊徳 ――報徳思想――
二宮尊徳(金次郎)は、幕末の思想家、農村復興運動の指導者として有名だ。
戦前は修身教育の重要な手段として、薪を背負って本を読む少年時代の姿が、全国各地の小学校の校庭などに金次郎像が建立されていたようだが、近年では見かけることは少なくなった。
尊徳の考え方を報徳思想と呼ぶ。
この核となるのが、「勤労・分度・推譲」の三本柱である。
まず大切なのは、一生懸命働いて収入を得る。収入は全部つかってしまわず、限度(「分度」)をわきまえてつかう。これにより収支のバランスがとれた安定した生活ができる。
そして残りは、寄付すること(「推譲」)だとされている。
推譲は、分度を確立した上で行うもので、収入の一部を将来のために譲ることをいう。自分の子孫のために譲ることは考えられるかも知れないが、村おこしのために、社会のために譲ることはなかなかできないかも知れない。
しかし村や社会が豊かになれば必ず自分に還元されるそのために将来に渡る生活の安定幸福の保証のため
に必要なものが推譲だと説いてる。(NPO法人地域福祉研究室pipi機関誌より)
あらためて、二宮尊徳の報徳思想について考える必要があるように感じている。古い考え方では、決してないと感じる。
危機理論からみた地域
危機理論は、キャプラン(Gerald Caplan)とリンデマン(Erich Lindemann)らによって1940年代から1960年代にかけて構築された理論だ。
危機理論について創始者ともいわれているキャプランは、次のように定義している。
「クライシス状態は、人生の重要な目標に到達することを妨げる障害に直面した時点で、習慣的な問題解決を用いては克服できない場合に発生する一定時間の状態である。混乱の時期と動揺の時期が結果として起こり、その間、解決しようとするさまざまな試みがなされるが、これがうまくいかない。結果的にはある種の順応が、その人やその人の仲間にとってもっとも良い結果をもたらすかも知れないし、そうでないかもしれない形で達成される。」(山本和郎訳)
また、コーチン(Korchin S.J)は、離乳、小学校入学、初潮(女性の場合)、大学受験、就職、結婚、閉経(女性の場合)、定年退職などのように各段階における通過儀礼を発達的危機(developmental crises)と呼び、本人の病気や愛する人の死など準備する機会を与えないままに発生する危機を偶発的危機(accidental crises)と呼んでいる。
この危機を乗り越えないと心身共にダメージを受けることになる。
この危機状態の時に介入するのが危機介入(crises intervention)である。
危機理論と危機介入は、一体的なものである。
近年、地域においても、少子化、高齢化、失業、幼児虐待、ストーカーなどさまざまな危機が発生している。
私は、地域が危機状態に陥っていると感じる。この地域に介入することが大切だと考える。
危機理論の前提として、『危機はそこにとどまり続けるのではなく、適応への過程の出発点として捉えられている。』つまり、うまく出発できないときに問題が生じるのである。
危機理論の基礎を作ったリンデマンは、危機的状況にある人への介入として、その人との関係においてキーパーソンの存在が重要だと論じている。
地域が危機に陥っているときに、地域住民が乱気流の中で住民の力によって飛びたつ地域がある反面、危機すら感じていない地域も多い。この地域に介入することが必要であり、この役割をコミュニティワーカーが担う必要があると感じている。
一定時間を過ぎないように・・・
ガリレオのリハビリテーション
地動説で有名なガリレオ・ガリレイは、彼の死後なんと約350年後にリハビリティーションが行われたという話がある。これは、どういうことなんでしょうか?
リハビリティーションは、もともと戒律を破ったキリスト教徒が、罪を許されて、またキリスト教徒として認められることに語源があるという説がある。
想像するとキリスト教中心の社会にあって、その教えから仲間はずれにされるということは、言葉では表現できない辛さがあったと思う。ある意味で、死の方が楽であったのではないでしょぅか?
つまり、リハビリティーションをたんなる、機能回復のみで表現できない意味がここにあるのではとかんがえる。つまり、リハビリティーションの広義の意味での復権を取り戻すということである。
麻痺や入院などして、失われた機能を回復して、また歩けるようになり、家庭に社会に戻れる。やはり広くは復権、取り戻すってことになように感じる。
さて、ガリレオ・ガリレイのリハビリティーションであるが。
17世紀に入ると、天体望遠鏡が発明され、ガリレオ・ガリレイは、木星を望遠鏡で観測し、4つの衛星が木星の周りを回っていることを発見した。この4つの衛星はガリレオ衛星と呼ばれ、観測を続けると少しずつ位置を変えていることが分かり、ガリレオは木星の回りに衛星が回っているように、太陽の周りを惑星が回っていてもおかしくないと考えた。また、火星は地球に遠い時に比べ近い時では約40倍も大きさが異なるということ、金星の満ち欠け等の発見により、地動説を確信した。1632年には、表現に気をつけながらも、このことをまとめた「天文対話」を出版した。
しかし、当時のイタリアでは、ローマ法王のもとキリスト教が盛んであったため、地球(人間世界)が宇宙の中心であることが絶対の真実であったため、地球が動いているという考えはタブーだった。地動説を唱え続けたガリレオは当時の教会の教えに反するとされ、宗教裁判により、その説を放棄することを強要されてしまった。その時、ガリレオは「…それでも地球は動いている…」と呟いたと伝えられている。その後、自由を奪われ謹慎生活を送るガリレオは、5年後に目を痛め、ついに失明。光を無くした世界の中、最後まで解放されることなく、この世を去りました。弔辞を読むこと、碑を建てることも禁じられ、家族の墓に葬られることすら許されない、哀れな最後でした。
ガリレオが世を去ってから約350年後、1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ガリレオの裁判に誤りがあったことを正式に認定した。
これが、ガリレオ・ガリレイのリハビリティーションである。